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06 / 06 Sun 20:57 #GOMAmura ×
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マラーの死  Marat Assassinated

1793Oil on canvas, 165 x 128.3 cm
Musees Royaux des Beaux-Arts de Belgique

Jacques-Louis David 1748-1825)ジャック・ルイ・ダヴィッド









フランス革命以前から、帝政時代まで、フランス美術界で活躍した。

パリに生まれる。早くに両親を亡くし、叔父たちに育てられた。

絵画はヴィアンに学んだ。

1774年、ローマ賞を得て、翌年から5年間イタリアに滞在した。

この時期に、古代を主題とした大作を多く描いた。

「理想美」に最も近いのが古代芸術である、という考えに傾いた。

ダヴィッドほど、政治に関わった画家はいない。

ダヴィッドは過激な革命派であった。フランス革命の中、ロベスピエールの失脚後、

捕らえられて、リュクサンブール宮へ幽閉された。

ナポレオン帝政に参加し、その記念碑的な作品を多く残した。

しかし、ナポレオン失脚と同時に、ブリュッセルに亡命し、不遇のうちに1825年、亡くなる。

ダヴィッドの門下生では、ジェラール、ジロデ、グロが代表的であるが、

彼らはロマン派を予告するような表現を見せている。

シャルロット・コルデーに暗殺された、革命の指導者マラー。

マラーは、医師であった。

それも、王の弟、アルトワ伯爵の親衛隊付きの医師であった。

しかし、その自由主義的な思想のために解雇された。

フランス革命勃発とともに、ジャーナリストに転身した。

革命政府の中心、ジャコバン党はロベスピエールとともに、恐怖政治へと向かっていった。

反対派を次々とギロチンへ送ったのである。

革命政府は、ブルジョワジー側に立つジロンド派と、下層民衆の側に立つ、

ロベスピエールのジャコバン党とに分かれる。

ロベスピエールは結局は、恐怖政治に陥ってしまった。

マラーを暗殺した、シャルロットは、当時25歳。

ジロンド派のシンパであった。

彼女はジロンド派の人々の名前を教えると言って、マラーに近づき、

入浴中のマラーを、ナイフで刺した。

マラーは皮膚病で、硫黄水の風呂に入って、仕事をするのが習慣であった。

マラーが手に持っているのは、面会を求めるシャルロットの手紙である。

マラーは実際、それほど整った顔立ちではなかったし、体格もダヴィッドの絵のように、立派ではなかった。

革命の殉教者としての英雄性を高めるため、さりげなく、工夫をしている。

ミケランジェロのピエタ同様、半身裸体で、片腕を垂らした姿である。

ダヴィッドの描いた「マラー」に永遠性があるのは、ミケランジェロのピエタと重なり合う、

厳粛な永遠性を、みごとに表現しているからに他ならない。


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